煮るよ。

#煮るよ

2022-05-05 こしあん

たまに小豆も煮ます。

今回は5月5日に向けて、柏餅用にこしあん。柏餅にはこしあんだと思うので。

 

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小豆は近所のスーパーで適当に買った十勝産。小豆、その辺のスーパーでもそれなりのものがすぐ手に入る手軽さが良い。特にこしあんは大粒である必要などもなく(濾すので)、有機栽培とか生産者指定などこだわることはできるが、それでも言うほど高級というわけでもない。

 

小豆はすぐに煮はじめられるのも良い。皮が薄いから、煮豆を作るときみたいな浸水工程(水に浸けて一晩おくとか)は必要ない。そういえば、とある「あんこを題材とした小説」を読んだとき、わりと冒頭で小豆を一晩水に浸けはじめたものだから、それ以降読んでもまったく頭に入ってこなかったよね…。そういう流派もあるのかと思ったけど、その後に見かけたあんこのレシピで浸水するものはひとつも見つけられてない。

 

すぐに手に入って、すぐに煮はじめられる。これがつぶあんなら、2時間もしないで仕上がり、最高に美味しいできたてあんこが手に入る。

…が、いまは、こしあんである。

こしあん、特に難しい工程があるわけではないが、やはり手間はかかる。つぶあんを作って濾せばいいわけではないのである。

 

1時間ほど下茹でをして柔らかくなった小豆を濾すのだが、これがまず、一度にぎゅうぎゅう濾せるわけじゃない。工業的にはそういう機械もあるかもしれないが、家庭においては「濾し網にのせて濾したときに外に落ちない程度の量」が1サイクルになるので、たいへん効率が悪く、時間がかかる。

しかしまあ、単純作業、嫌いではない。「チカラを込めすぎると皮が削れてあんこ側に入って口当たりを悪くしたりするんだろうか?」「濾し網はもっと細かい方がなめらかに仕上がるんだろうか?そんなことしたらさらに作業スピードは落ちそうだな…」とか考えながら濾す。疑問の答えはわからないが、小豆は濾される。

 

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濾したもの、つまりこしあんの本体が左で、こしあん的には不要なのが右である。間違って左の泥水を捨てたりしたら、文字通りすべて水の泡である。

 

次に水に晒して上澄みを捨てる。こちらは作業としては大したことはないが、晒し1回につき10分程度置く必要があるので、やはり時間はかかる。それでも、最初は泥水にしか見えない上澄みが、4回くらいでほぼ透明になるさまは大変気持ちが良い。(しかし正直、このとき上澄みとして捨てているものがなんなのか、まったくわかっていない。)

 

あとは搾って砂糖加えて煮詰めればできあがり。そこらへんはつぶあんと大差ない。

 

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そうしてできあがった、つやつやのこしあん

こしあんを手作りすると、こしあんの尊さを理解してしまい、つぶあん原理主義ではいられなくなる。こしあんを発明した人にはノーベル賞くらい与えられて然るべきである。

 

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そういえば、そもそもの目的である柏餅。こしあん作るのに疲れて、餅のほうで手を抜いたため形が不揃いですみません。あと葉っぱは無い。去年は別に作ったよもぎ餅を薄く伸ばして「葉っぱも食べられる柏餅」なんて凝ったことをしてたが、今年は心の目で見る仕様です。

なお、柏の葉っぱは富澤商店とかで売ってるみたいなので、来年は普通に買おうかな…。あとは日頃から柏餅を買って食べて、その葉っぱを残しておくとか?